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「緊急事態舞台芸術ネットワーク年次シンポジウム2024」(オンライン配信)が2024年12月9日に東京・世田谷パブリックシアター稽古場で開催されました。
2020年に新型コロナウイルスによる演劇界の危機的状況を受けて発足し、そこで生まれた横のつながりをもとに舞台芸術業界の豊かな多様性と持続的発展を目指し、国際展開と業界基盤の強化に取り組んでいる一般社団法人緊急事態舞台芸術ネットワーク(以降、JPASN)。今年度の年次シンポジウムでは、今後の業界発展をリードする視点から、多様性、国際展開、プロデューサーの思い、さらには働き方や人権対応に焦点をあて、全3部構成で議論を深めました。
この記事では、その第2部となったプロデューサー列伝「お芝居の噺でもしましょうか」をレポートします。長年にわたり日本の演劇シーンを支え業界の礎を築いてきたプロデューサー3名が、数々の質問に答えてくださいました。
【第2部】
プロデューサー列伝「お芝居の噺でもしましょうか」
登壇者(※五十音順)
◎北村明子
シス・カンパニー代表取締役、演劇プロデューサー。1989年、『劇団夢の遊眠社』マネージメント部門をシス・カンパニーとして法人独立化。以降、俳優マネージメントと並行して、98年よりシス・カンパニー独自の舞台制作を開始。2008年までプロデューサーとしてNODA・MAP制作も担う。現在、年間平均4~5本のSISプロデュース作品を展開中。
◎長坂まき子
有限会社大人計画 代表取締役社長。フリーの制作を経て、1991年上演「サエキナイト」より大人計画に参加。以降、大人計画の全公演の制作・プロデュースを手掛ける。演劇公演以外にも、映画、テレビドラマ、バラエティー番組などの企画・プロデュースに携わるほか、作家・俳優のマネージメントも手掛ける。
◎細川展裕
株式会社スマートリバー社長。1985年幼馴染みの鴻上尚史に誘われて第三舞台に参加。1999年からは劇団☆新感線のプロデューサーに。以来2024年までの全ての公演の企画・制作に関わる。劇団の枠組みを越えてのプロデュース公演も多数手がける。そんな66歳バツ無し独身の前期高齢者!
シンポジウム視聴者から集まった質問をもとに細川氏が進行したこの鼎談は、お三方の30年以上にわたる付き合いと、そこで培われた信頼のもと、終始和やかに進行しました。この記事では、質問の内容に合わせて順番を入れ替えレポートします。
最初に届いたのは「作品づくりで最も大切にしていることは?」という質問です。まず長坂氏は「信じることじゃないでしょうか。面白いと信じること」と解答し、北村氏も長坂氏に同意しつつ「(私は)好きなことをやる。長坂さんが言うように最初は信じてやるんだけど、本読みで『思っていた通りにはいかないか?』と思う時もある。それでも稽古を積み重ねていくと、『こんないいものになっていくの!?』となる作品もあり、そこが面白いところ。つまり、最初は自分が好きで始めるんだけど、そこにいろいろな化学反応が出てくることが面白くて(舞台作りを)辞めていない」。細川氏は「私もお二人と同じ。愛して取り組むしかない」と共感を示しましたが、二人からは「愛とかじゃないですけど(笑)」と言われ笑いが起きるなど、軽快かつ和やかに会がスタートしまた。
「プロデューサーは公演においてどのような役割を果たすべきですか?」という質問には、北村氏は「ある時は演出部の一番下のお手伝いもし、ある時は物販もし、全部やる。それをやりながら目配りをする。それで全体がどう立ちあがっているかを把握する。全部わかってないとダメだと思ってるから」と話します。それを聞いた長坂氏から「演出部に入った時に『ここがこうできたらいいのにな』とか、物販を見て『パンフはもうちょっと安いほうがいいんじゃないかな』とか一個一個に気持ちがあるのではないか」と尋ねられると、「やり方は人によって全然違うから、自分はそこに合わせていく」という前置きのもと「常に全部にある」と北村氏。長坂氏は「そこなんだと思う。常に一個一個に『こうだったらいいのに』というものを持ってる、というのがプロデューサーなのではないか」と共感を示しました。一方、細川氏は「私は飲み会のセッティングをしていればいいと思っている」と話し、「コロナ禍で飲み会のセッティングや稽古場のパトロール(いろいろな稽古場に顔を出すこと)ができなくなった」と明かすと、長坂氏が「この前、北村さんと稽古場が隣だった時は、北村さんは連日『おはよう』ってうちの稽古場に顔を出されてから(北村氏が担当する作品の)稽古場に入られていた」とエピソードを披露。細川氏も「コロナ前はそういうことが普通だった。そうやって知り合いと会うことで、ちょっとしたキャスティングの助けになったりもしていた」と話しました。
「面白い作品づくりと会社経営の狭間で感じる課題などありますか?」という質問には、三人ともが「基本的に人生、悩むことがあまりない」という回答。そのうえで長坂氏は「会社経営と面白い作品づくりの狭間で感じる悩みはまったくない。なぜなら映画だと(完成してからチケットを売るので)収入ゼロの時点で、(制作に)何億って使う。でも演劇だとお客さんが入らなかった最低の想定額と、(劇場のキャパがあるので)マックスで入った想定額が大体見える。だからそんなに困らない」、細川氏も「演劇って原則がクラウドファンディング。『こんなお芝居やります』『チラシを配ります』『チケットは3か月半前に発売します』という時期は、実は稽古も始まってない。でもお客さんは期待値に対してお金(チケット代)を払い、我々はそこで集まったお金を持ってスタートできる。だから長坂さんがおっしゃったように、大外れしたところでこのくらい、逆にいくら当たってもこのくらい、というのが見えている」と話しました。
「一人でミュージカル制作会社を立ち上げ2期目ですが、銀行から借り入れをするか自己資金でがんばるか迷い中です。アドバイスいただけませんでしょうか」という質問には、長坂氏が「自己資金でやれる範囲でやる」、北村氏も「自己資金に見合うものから始める。借金してまですごいことをやろうと思わなくていいんじゃない?」とアドバイス。共に「銀行から借り入れはしない」と言います。細川氏は、かつてご自身が借り入れをしていたという経験から「結果どうにかなった。そういうやり方もあれば、おふたりのように堅実に考えてやるやり方もある」と話してくれました。
昨今の注目トピックのひとつでもある「チケット料金の高騰化についてどうお考えですか?」という質問には、「それは(日本の)経済状況の問題」としながらも、それぞれのプロデュース公演のチケット代について長坂氏は「チケット代はちょっとずつ上がっている。ただ1万円を超えることが割と普通になっている中、うちは超えないので『安い』と言われるが、自分たちは『こんなに値上げしてしまった』と思う。ただ運搬にしろなんにしろ経費がものすごく上がっているから、しょうがないと思いながら、エイッという気持ちであげているし、ちゃんと楽しんでいただけるようにがんばろうと思う」と話します。北村氏が、助成金に頼らずとも「これ(予算)でどうしたらいいかってことを考えていくしかない。それを地道に積み重ねていって初めて成立していく」と話すと、細川氏も「木戸銭(入場料)だけが頼りですからね。そこは我々は共通していますね」と共感しました。
「劇団として売れていくにはどうすればいいのしょうか?」という質問に、北村氏は「何かに特化していく、というやり方を見つける」とアドバイス。細川氏から劇団夢の遊眠社が何に特化していたのかを問われると、「そりゃもう野田(秀樹)さんに特化していた。野田さんは東京大学だというのも売りだった。『東大』と言えば人が注目することを、プロデューサーの高萩(宏)さんがちゃんとキャッチして、売り出していったわけでしょう? そういうふうに何かに特化することがいいと思う」。細川氏も「第三舞台が何に特化していたかと言うと、鴻上(尚史)くんの文法が80年代に合っていたんだろうなっていうのが一つある。それと僕たちは最初のテレビっ子世代でもある。テレビ放送の歴史から考えると、生まれた時からテレビを見て育った人が大学に入り始めたのが1977年前後。要するにテレビ・ネイティブの世代が表現を始めたのが1970年代の終わりくらいからで、鴻上くんはまさにその象徴だったなと思う(第三舞台は1981年に旗揚げ)。暗転は短い、暗転あけたらシーンは変わってる、それは“CMあけ”と同じ、というような。同じく今の若い子たちはデジタル・ネイティブで、生まれた時からスマホをいじって育っている。そういう子たちがどんなものをつくるかに興味がある」と話しました。長坂氏は「大人計画が今も普通に続けられるのは、世間のことを考えながらやっていたわけじゃなくて、『面白いぞ!』と思ってやっていたからだと思う。実際面白いと思うし、単純に松尾(スズキ)さんに才能があるってことだと思うけども」と話しました。
「いま注目している若手劇団やクリエイターはいますか?」という質問から、話題はそもそも最近若手の公演観に行っているかということに。北村氏は「全部行っているかというとそうじゃないけど、行っている。いい人の作品に出会うこともあるから。加藤拓也くんもそうだし小沢道成くんもそう。いろんなところへ行けば行くほどいろんなものに出会うことはわかっているけど、なかなか昔のように一週間に6本観るとかは体力的に無理なので、今は選びながら。当たりはずれはあるけど、出かけない限りそれもわからないから」と話します。長坂氏は「私は北村さんみたいにたくさん観ていないです。(その中で観に行くきっかけは)うちの宮崎吐夢くんとか、すごく詳しい人が絶賛すると観に行きたくなる。あとは、知ってる人がつくっているとか、知ってる人が出ているとか、そういうものが多い」のだそうです。観劇によって注目する人が見つかった時は、北村氏は「持って帰って熟成させて、『この人だったらこういうことをするのがいいな』と思った時に声をかける。いいなと思っても、なかなかそれが見つからなくて声をかけていない人もいます。(プロデューサーとしては)『何をするか』だから、例えば『(脚本を)書いて』だけじゃなくて『こういうものを書かない?』ってことがなければ、なかなか」と話します。細川氏は新しい才能との出会いについて「本谷有希子との出会いはチラシ。『ファイナル・ファンタジー』というタイトルで、真っ白なドレスを着た子が血を流しているようなデザインのチラシを見て、直感で『もしかしたらこの人は面白いものを書いているかもな』と思って観に行った」と振り返りました。
「注目している次世代のプロデューサーはいますか?」という質問に、北村氏は「momocanの半田桃子さん。発想がグローバルで、アーティストにかける想いが熱い。あとは梅田芸術劇場の村田さんとか。次世代とは言わないかもしれないけど」とコメント。長坂氏が「自分たちのものをつくっていて、どうやって知り合うんですか?」と問いかけると北村氏は「大人計画の役者をいろんな作品に出してるじゃない? その時にプロデューサーと話をするでしょ?」と応えるも、長坂氏は「映画やドラマではあっても、演劇ではあまりない」、細川氏も「私も演劇関係(のプロデューサー)はそれほど付き合いがないです。知り合うことがないですよ」と口を揃えました。北村氏は「劇場でいいなと思った時も、終演後にプロデューサーが受付にいたら、初めて会う人でも『すごくよかった。これ地方に持って行かないの?』って話をしたりする」と話しました。
「2.5次元舞台と、アニメ・マンガを原作にした舞台の違いってあるんでしょうか?」という質問では、それらの作品には音楽が入っているものも多いという話題から、北村氏の「私はあと20年位経ったらストレートプレイはなくなるんじゃないかと思っているくらい」と自論が飛び出しました。その理由は「音楽が入っているものに、若い人は共鳴するから」。「私だって共鳴するんだから。だから、おつくりになる人や若い人が音楽劇やミュージカルが好きだというのはわかる。2.5次元も、作品によるけど音楽が入るでしょ? それに扮装もして。歌舞伎なんてその最たるものだから、これは残ると最初から思ってた。この分野は絶対膨れてくる、と。だから(2.5次元舞台とアニメ・マンガ原作の舞台の)違いがわからなくてもいいじゃんって感じで好きです」と話します。長坂氏は「2.5次元の舞台を観たことがない。アニメの舞台化もあまり観たことがない。宮崎(吐夢)がお世話になっている『千と千尋の神隠し』は観ました」と明かし、その時の経験を「原作アニメを前日に予習して観たら、まんまでびっくりした。一番びっくりしたのは、映画と同じように電車のシーン(千尋とカオナシが電車で移動するシーン)がすごく長かったこと。舞台でただ移動しているシーンが長いというのは衝撃で、映画をここまで(そのまま)やることへのあっぱれ感がすごかった。潔いものっていいなと思うので」と語りました。細川氏は「世間が2.5次元を認識し始めたのが2006年とか2007年とかだと思うが(※草分け的な作品であるミュージカル『テニスの王子様』の初演が2003年)、劇団☆新感線は2000年に『犬夜叉』をやった。おそらく当時はまだマンガ原作の舞台は『ベルサイユのばら』くらいしかなくて、『マンガを芝居にするなんて』というような感じだった。実際に上演すると、公演アンケートには原作ファンからの『この役はあの役者じゃない』『原作を全然理解していない』的なことがあって、当時の私は『芝居にしてるんだから。マンガをそのまま再現しようとしているわけじゃないんだよ』と思っていた。でも浅はかだった。逆だった。そこに(舞台の)お客さんがいるとは全く考えもしていなかった。その後、松田さん(ネルケプランニングの発起人である松田誠氏)たちが始められたことは、まさにそういうことだった。演劇ファンを増やさなきゃって話があるけど、増えている。(2.5次元舞台の存在によって)芝居を観なかったであろう人が劇場に来ている」と言い、北村氏も「だからそこで“区別”ってところは考えなくていいんじゃないのかな」と話しました。
「それぞれ他のお二人について、ここがすごいと思うところは?」という質問に、長坂氏は「北村さんは包帯を巻くのがすごくうまい。『野田版・国性爺合戦』で初めてお会いしたんですけど、仕込みの時にスタッフが怪我をして騒ぎになったんですよ。その中で北村さんがクルクルッときれいに包帯を巻いたんです。いいプロデューサーは包帯を巻くのも上手なんだと思った。なんでもできるんだって」と話すと、北村氏は「それは嬉しい話」とし、長坂氏について「ちょっと羨ましいくらい地道なの。松尾さんの公演でも宮藤官九郎くんの公演でも同じく地道にやる。どちらかすごく冒険するというようなやり方をせず、二人に対してバランスよく地道にできる。そこが二人から信頼を得ているところなんだろうなって。これは常日頃思っていることです」と話します。長坂氏が続けて「細川さんは、“劇団”ってなんかお金がないイメージがある中、最初にお会いした時からちゃんとスーツを着てネクタイを締めていらっしゃいました」と振り返ると、細川氏は「サラリーマンからこの世界に入ったので、服がなかったんですよ。スーツとパジャマしか持ってなかった。でもその事情を知らず、キャラメルボックスの制作だった加藤(昌史)くんは『これからの時代、小劇場も制作はネクタイしなきゃいけない』と言ってネクタイをするようになりました」。長坂氏に「北村さんも細川さんを褒めてください」と催促された北村氏は「(笑)。細川さんはね、若い時からモテたでしょう? 自宅に人を呼んで飲み食いしたりしてたよね」と暴露。「別に女優さんとかじゃなくて、みんな来てますからね?」と笑う細川氏に「そこがこの業界ではとっても珍しいプロデューサーだった。よく聞いたらレコード会社にいらっしゃって、だからこの業界にはない企業のスマートさがあったよね。そこが珍しい、稀有な存在だった」と話しました。
最後に「お三方がこれから取り組みたいプロデュース公演やイベントがあれば教えてください」と尋ねられると、北村氏は「スケジュールは2027年まで決まっているんですけど、言えないもんね」。そこで長坂氏が「それ以外で言えば、自分の頭の中でひとつ物語を考えていて、それを連ドラにしたいです。ただ、自分の中ではすごく面白いんだけど、世の中には受け入れられないんじゃないかなと思っていて」と明かすと、北村氏が「がんばって」、細川氏が「2年後、3年後にドラマの企画に長坂さんの名前があったら『あの時の』ってなるね」と背中を押しました。細川氏は「私は愛媛県出身なので、愛媛県がらみのことで何かできるといいなとちょっと思っています。具体的に言っちゃうとなんだそんなことかと言われそうなので言わないんですけど、いくつか考えていることがあります」と話してくれました。
すべての質問を終えた後、北村氏は「本当にくだらない話ばかりで悪かったと思ってます」、長坂氏も「そうですね。すみませんでした」と話し、和やかな締めに。細川氏は「ここは三軒茶屋なので、私はすずらん通りに飲みに行きます!」とその場を後にしました。